約束と実行

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昨日、よろず相談室へ行った。まぁ、留学関連の報告で。というよりも、最後に行ったときに、今後特に相談するようなこともないなと思っていたら、「そうだね。また来てください。後期から私は月曜の15時半から17時に変わったので、その時間帯に。報告でもなんでもいいんで。」と言われ、「また伺います」と答えたので、今日行くことにした。10月の月曜日は16時からバイトだったからその時間帯は行けなかったのだが、昨日はバイトがキャンセルになり時間が空いたのだった。

温度差というか、私は前回のことを鮮明に覚えていて1ヶ月以上もあいてしまって申し訳ないなと感じていたが、先生は特に覚えておらず「今日はどうしました」という感じだった。ちょっとこの差が寂しかった。

話は変わって、この日曜日にウチのESS主催のスピーチコンテストがあった。部員はほぼ強制参加(お手伝い等で)なのだが、休学中でESSとも積極的に関わっていくつもりではなかったことと、土日はいつもバイトがあることを理由に参加しなかった。打ち上げの参加・不参加を聞くメールが来たときも、本番に参加しないのだから不参加だろう、参加のメールをしなかったら不参加だろう、と思い返事をしなかった。ところが、スピコン前の部会で、打ち上げのみの参加になっていると知らされた。メール返さなかったけどとりあえず参加ということになったらしい。金銭的に厳しい旨も伝え、今からキャンセルできないかなどと話し、結果的に曖昧なまま話は終わってしまった。

私を参加人数に数えて予約をしているようだったし、返事をしなかったのは完全に私の責任なので、日曜日はバイトを終えてから打ち上げに参加した。すると、「来てくれたんだ。ありがとう。」と笑顔で迎えられた。別にしぶしぶ行ったという訳ではないが、キャンセルできたんならして欲しかったな、と思った。

今日の雑記はほとんどぼやきになってしまうかもしれないが、上のような口約束をどの程度「言葉どおり」に受け止め、どの程度それに責任を感じるかというのは人によってかなり差があると思う。私の場合は、とりわけ真摯に受け止め、実行しようとするタイプだ。

また、「言いたいことはハッキリと言う」という考えも持っている。曖昧にしないで明瞭にした上で、しっかりと約束を守るタイプだ――たとえ気持ち的に曖昧であっても。上のESSの場合だと、キャンセルできないなら出来ないでちゃんと返事をしなかったのが悪いわけだから「参加する」と言うし、キャンセルできるようなら「参加しない」とハッキリと言いたかった。そうするために、キャンセルできるかどうかをハッキリ言って欲しかったりした。とか言いつつ、勝手に不参加になると思って、不参加のメールを送らなかったのは悪いわけなのだが。この辺り矛盾しているのだろう。

またその一方で、言葉どおり受け止めない柔軟性も持っているつもりである。テレフォンコミュニケータのバイトで「お忙しいところ恐れ入ります」と言ったりするのだが、「いや、忙しくないよ」と言ってくる人がいる(年配男性に多い。嫌味で言っているのかもしれないが)。「おはよう」に対して「いや、早くないよ」と言っているようなものだ。極端な例だが、ある程度「タテマエコトバ」の運用の仕方は習得していると思う。もっとも、このような例は社会的な常識の範疇に入るであろう。

話を元に戻すと、特に約束をしたりするような場合、言いたいことはハッキリと言い、行った約束は必ず実行するように努めなくてはならないと思う。この考えは正しいのか?この問いに対する答えの根拠はどういったものなのか?

ちょっと興味がある問題で色々と考えてはみるがまとまらない。すいません。以下乱雑に書きます。

この約束を契約と捉えると商取引や憲法のように誰が読んでも誤解が起こることのないように記述されなくてはならないと思う。これは実行という結果に対して束縛度が高い。一方で「じゃ、また今度」などと言うときには必ず今度あったり連絡をしなくてはならないわけではない。束縛度が低い。そもそも、こういった束縛度の低い会話やタテマエコトバなどは「文化」と言いえはしないだろうか。ある文化圏において約束されているとアプリオリに認識されているものは、その文化そのものではないだろうか。

また、自分は何かに対して約束を負っている、負わされているという感覚は、例えばアッラーに対する信仰のように全生活の多くの部分を規定する場合もある。「~してはならない」という一般的な道徳的な感覚についても私たちの生活の基底をなしている。これらを「約束」という観点からみるとき、その相手は「他者」だろうか。ある約束を破るという背徳的感覚は、他者から切り離されてしまうという、孤立に対する恐怖からくるものなのだろうか。犯罪を犯せば(法律という約束を破れば)刑務所に入れられ家族・友人・社会から切り離されてしまうという罰則があるのは興味深い。「約束」はどのように成立し、どのように「実行」されねばならないのか。もっとも大きな「全体約束」を負う相手は一体何者なのだろうか。

めちゃくちゃのまま、今日の雑記は終わります。約束という言葉を切り口にしたのが悪かった気がしなくもない。何が言いたかったんだろう。

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