出発前に...

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ただいま、29日午前3時20分。28日の夕方に3時間ほど仮眠を取り、今日の早朝の電車に乗るべく自宅で待機中。特にここを更新するつもりではなかったが、昨日のニュースを見ていくつか思ったことがあるので書き残す。池田小事件で宅間被告に死刑判決が言い渡されたニュースについてである。

この判決で事件の区切りは付いたことになるが、この事件が引き起こされた問題そのものについての解決にはほど遠いように思う。関係者やコメンテータのインタビューを聞いていると、宅間被告が単体として閉じた絶対悪であり、8人の児童の死亡という「結果」に対しての全責任を宅間被告に投げかけようとしている。このこと自体は当然のことだが、そこから一本踏み込んだ議論がなされていないように思う。つまり、なぜ宅間被告がこの事件を引き起こしたのか問われていない。別に彼をかばえと言う訳ではないが、この事件を通しての教訓は得られたのだろうか。確かに、どういうつもりで池田小学校に入り児童を殺傷したのかという「行動」に対する理由は明らかになり、そういった問題の危険性に対するガイドラインは作られたようである。しかし、その行動の発端を被告自身という閉じた領域において探っていくのではなく、世の中全体を通じて突き詰めていってこそ、真の問題解決になるのではないだろうか。

宅間被告が悪であるのは事実だ。だからといって、悪いことをしたのだから償えと言ってばかりいてもダメだ。この事件を通して、この悪はどこから来るのか、なぜ悪とすべきなのか、について疑問を持つべきだ。遺族のインタビューで被害者の児童を「8人の天使」と称していたのには少々驚かされた。無条件に加害者を悪とし被害者を善とする傲慢さに驚いたのだ。まるで被告は生まれながらにして悪であり、児童たちは生まれながらにして善であるとでも言わんばかりだった。本当にそうなのか。その差は一体何なのか。児童たちが殺されなかったとして、長崎の児童誘拐殺人事件ではないけれども、「悪いこと」と絶対に起こさなかったと言い切れるのだろうか。私は加害者から一言の謝罪を聞くこともなく加害者の死刑を迎えるであろう遺族ではないので、正直自分がその立場になればどういう気持ちになるかは分からない。しかし、ただ宅間被告に対して罰を求めることで、その悲しみは本当に克服されるべきであろうか。8人の冥福を祈る。

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